留学•就職体験談
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留学リスタート ~新たな試練~

2008年の7月。

シドニーのTAFEを辞めてから約3か月後。
メルボルンから南に電車で一時間の街、Geelong(ジーロング)にあるGordon Institute of TAFE(ゴードン インスティテュート オブ テイフ)に入学しました。

今回もDiploma of Hospitality(ディプロマ オブ ホスピタリティ)コースを選び、Commercial Cookery(コマーシャル クッカリー)、調理師コースを専攻。
今でこそCertificate IVまで行ってからからDiplomaへ進むプランが主流ですが、当時はCertificate IIIが終わってからDiplomaに行くことがほとんどで、私もその道でした。

まだCertificate IVでRSMS(地方スポンサー付きビザ)が取れるなんて知られておらず、また前例も少ない時期でした。この頃はまだSIR*というビザがあり、地方移住はそちらの方が主流でした。(*指定地方地域に2年居住、うち1年どんな職種でもいいので仕事していれば永住ビザがもられる、というもの)

私がお世話になったエージェントはビザ、就職にも長けたところで事前に卒業後のビザのことも含めていろいろ相談できていましたが、周りは”調理師になれば永住ビザが取れる”くらいの情報で進学している人も少なくありませんでした。

「さぁ、オリエンテーション!」

と意気揚々と学校に行きました。
留学生オフィスに通され、集まっていたのは10人程度。

そりゃそうです。
州立の専門学校とは言え、田舎の小さなキャンパスですから留学生自体元々少ないのです。
ところがよく聞くと、そこにいた全員が私と同じ調理師コース。

つまり。

クラス全員留学生。

田舎キャンパスだったので、ローカルのオージーに混ざって勉強できるかな、なんて思っていましたが、その期待は初日を迎えることなく砕け散りました。涙
中国人6名、インド人2人、マレーシア人1人、日本人は私も含めて2人の11人クラス。
一人はパティシエ志望だったのに、人数集まらなくて致し方なく調理師コースに来たという状況。

大丈夫かいな、と思いながらも、ここだったらシドニーでの経験も有利に働くんじゃないか、なんて期待を持ったのも事実です。

日本人のクラスメイトになったYくんには、初日から意気投合してオリエンテーション後も少しおしゃべり。

帰り際に、「あ~、これから2年もお世話になるんだねぇ~。笑」なんて話していました。

二人とも20代後半。
日本じゃみんな毎日一生懸命仕事している中、自分たちは2年間また学生に戻るという状況。
傍から見ると良いご身分ですし、全く間違ってはいないのですが、やはりそこの2年間社会から離れるという不安と焦りはお互い相当なものだったと思います。

そんな似た境遇をお互いの姿で逆に強く自覚したのか、そんな別れ際が印象的でした。

コースが始まるまでまだ少し時間があったので、ちょっとフライングでしたが早速仕事探しスタート。
私の仕事探しのスタンスは極めてシンプル。

「自分がプライベートでも行きたいカフェで働くこと」

今の仕事でもそうですが、日本を離れてからの私の仕事へのポリシーもシンプル。

「自分が欲しいと思うもの(サービス)を提供すること」

そういったこともあって、アルバイト探しながら最初にしたのは食べ周り。笑
仕事が見つかる前の学生に、カフェでのご飯はかなりの出費ですが、何を出すかわからない場所で働くのは不安の方が大きいので、まずはお客さんとして登場です。

お店の雰囲気、店員さんの対応、料理の味など、総合的に自分が好き!と思えたら、生意気にも料理長を呼んでもらいます。

「おいしい料理を堪能でき、すごく素敵な時間でした。これからここのTAFEで調理を勉強するのですが、是非ここで皿洗いから働かせてください!」

言われた料理長もビックリですよね。

「こんな形でバイト探ししてるヤツ、ローカルのやつでも見たことない。」
って何度も言われました。笑

5,6件そんなプロセスでお願いしましたが、時期的にも冬だったこともあり、ものの見事に最初は全部断られました。

大抵の人はここで諦めると思うのですが、営業出身としてはそんなことでは絶対にひきません。笑

2週間に一度くらいはコーヒーを飲みに行ったり、料理長の名前を知っているのをいいことに、知り合いの振りしてスタッフに呼んでもらって挨拶したり、とにかく顔と名前を覚えてもらってチャンスを待ちました。

ところがこれまた田舎街の怖いところで、待てど暮らせど一向に仕事のチャンスすら巡ってきません。

4か月も経とうかというとき、さすがに所持金も底をついてきました。

どうしたものかと思って走った行動が、カジノ。笑

なけなしの5万円くらいを握り、いざメルボルンのカジノへ!
だいたい予想つきますよね。

はい、全部すりました。

来週中に仕事見つからなかったら家賃すら払えないなぁ・・・
なんて帰りの駅で、本当は禁煙エリアなのに開き直ってたばこを吸いながら思っていたら電話が。

「Otto、明日仕事やってみるか?」

待ちに待った仕事の電話でした。
二つ返事でOKして電話を切り、大きく深呼吸。

「あー、ちょっとこの国でやっていけるかなぁ。」

と思えた瞬間でした。

その帰り道は寝過ごすんじゃないかと不安になるほど良く眠れ、帰ってもすぐ熟睡。
やはりお金の心配って大きいですよね。

翌日のトライアルは一発OK。
ここはシドニーでの経験が役立ちました。
あんだけキツイところで耐えて学んで、本当に良かったです。

ワンチャンス掴むって、お客さんのお話し聞いていても必ず今までの失敗がつながっていることが多いんです。

永住ビザ取得に一番大事なことの一つに、失敗を恐れないこと、失敗をいろいろ経験していること、が挙げられます。

後悔しててもいいんです。
むしろしてた方がいいかな。

それを二度と繰り返さないって、
心から思って、そういう時が2回目来た時にちゃんと出来ることが何より大切です。

日本ってどうしても失敗を強く責めるし、後にも引く文化だと思うのですが、本当は失敗からしか人って学べないことがほとんどです。

成功しているときに成長している人間なんてまずいません。

ACCでもスタッフ全員に強く言っている社訓の一つはこの頃生まれました。

すっかり話がアルバイトの話に偏ってしまいました。
肝心のTAFEでのお話しはまた次回。

皆さん、留学の一番の壁は英語だとお考えの方、多いんじゃないですか?

グローバル人材(人財)=英語が出来る人、という理解は間違ってもして欲しくないですが、次回は海外で生きるってこういう意識が必要だったのか、と痛感した学校での生活、勉強のことに触れたいと思います。

この記事を書いた人

Otto

気分転換にとワーキングホリデーで滞在していたオーストラリアで人生の方向性を見出し、留学、自力で永住権取得、海外就職を実現。「自分と同じように悩む人たちの力になりたい」という想いで独立。ゴルフ、ファッション、音楽、パースのライフスタイルを愛する社長っぽくない社長。

ACCのスタッフは全員オーストラリア長期留学経験者

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