語学学校卒業してすぐ。
ビジネス英語コースで一緒だったクラスメイトが、「帰国するので、後釜にどうですか?」と紹介してくれたシェアハウスに引越しました。
「みんな送ってあげるわけにはいかないから、内緒よ」
ホストマザーが、時間があるし、そんなに遠くないから、と言ってシェアハウスまで送ってくれました。
ホームステイしていた家から車で15分弱。
語学学校があったマンリーまでバスで5分、徒歩でも20分程度のFreshwater(フレッシュウォーター)という、ビーチの近くののどかな一軒屋。
シェアメイトは二人。
とても気さくで優しく、日本にワーキングホリデーで行った事もあるリアムさん。
気楽に行こうぜ!スタイルの、いわゆる典型的なオージー、グレッグ。
まだ英語もろくに話せないにも関わらず温かく迎えてくれ、三人とも医療関係の仕事の経験があることで打ち解けるのも早く、のどかな夜景の綺麗なベランダで良く三人で恋愛話もしました。
ホント、恋愛話は万国共通の話ネタ、鉄板です。笑
語学学校も終わって、何か新しいことをしよう、とまず取り組んだのがサーフィン。
家を紹介してくれたシェアメイトからボードを譲ってもらって少し教えてもらってからは、一人でビーチに行って立てるくらいにはなりました。
ただ、調子に乗って横に移動していこう!と思った矢先、立て続けに波に飲まれて溺れかけ、それ以来波が怖くなってしまってあえなく引退。
短いサーフ人生でした。笑
ただ、短いながらもサーフィンから多くの気付きをもらえたのも事実です。
いい波のときもあれば、そうでない日もある。
いい波が来ても、ずっと続く訳じゃない。
いいサーフィンが出来る人は、波を待っている時間も楽しんでいる。
人生そのものと思えることがとても多くて、やはり自然を相手にするスポーツは素敵だなぁと思えた矢先、溺れかけてしまって、波が怖くなってしまった自分が情けなくてなりませんでしたが、いろいろ教えてもらって、人のご縁もつなげていただいただけでも十分なギフトでした。
とっても生き急いでいたんだろうなぁ。
日本での自分の人生を冷静に振り返って、そう思えたのもこの頃でした。
ある日、サーフィンを終えてのんびりと芝生の上から海を眺めていると
「G’day mate」(よう!)
と見知らぬ声が。
かつあげにでもあったのか、と思って振り返ると、ウェットスーツにボードを抱えた見知らぬサーファーが立っていました。
何を聞かれるのかと思ったら、波のサイズや掘れ具合などを聞かれ、あまりにも普通の質問でビックリしましたが、オドオドしながらも身振り手振りで何とか回答。笑
「Thanks mate. Have a good one!」(ありがとな!またな!)
と言ってビーチに向かってはだしで走っていきました。
あまりの爽やかさに呆気にとられていましたが、平日の昼間のビーチで声をかけられたら、日本だったら警察に職質されているか、かつあげの確率が高そうなものです。
あらためて晴れ渡る空をみて、
「あぁ、誰も俺のことなんか気にもしてない。俺って本当はとても小さな存在なんだなぁ。」
当たり前なことだと思った後に気付きましたが、それほど自分に余裕がない生き方をしていたことも痛感しました。
「どうせ誰も気にしないなら、思い切って自分のしたいことをやってみるのもいいじゃないか。人に迷惑だけはなるべくかけないように、限りある自分の人生楽しんでみよう。」
私の人生の向きが変わった瞬間でした。
それから帰って情報収集。
オーストラリアで自分に何が出来るんだろう?
取り急ぎ部屋にあったシドニーの日本語情報誌を漁っていると、日本語教師養成講座の広告をあちこちでみかけました。
「英語は正直まだまだだけど、塾の経験で教えるスキルには自信があるぞ!」
語学学校が終わって二週間後、今度は街中の語学学校にある、日本語教師養成講座を受講することにしました。
そこに決めた理由は、「成績優秀者はそのまま講師として採用します」とあったから。
取り急ぎの目標は出来て、またまた新たな生活スタート。
そんなとき、私を心配して母が一人でシドニーを訪れます。