「人生終わったかなぁ。。」
京都の嵐山駅近くのベンチでタバコを吸いながら、秋晴れの空を眺めながら思った瞬間でした。
今思えば、これが今の私の人生のスタートだったのかも知れません。
そのとき私は、大学時代に勤めていた塾の後輩と一緒に京都・大阪旅行に出かけていました。
そんな旅の初日、京都に着いた直後、当時付き合っていた彼女に電話で振られていました。
なんとなぁーく、そんな予感はしていましたが、今のタイミングかよ、って。笑
当時の私の状況と言えば、4月いっぱいで新卒で入った大手製薬会社を退職し、実家でニート暮らし。
退職のちょっと前に自律神経失調症になって、自宅で療養の身でした。
「このまま生活してたら、ほぼ確実にうつ病になります。」
そう心療内科の先生に言われてから、少しずつ自分の人生観に疑問を覚え始めていました。
中学校まではそれなりに頭が良い方だと勘違いしていましたが、高校に入ってみてビックリ。自分より頭がいいやつなんて星の数ほどいることにやっと気付かされました。
それでも浪人してでもがむしゃらに勉強して(というか暗記して)それなりの大学に進学し、それなりに良いキャリアと言ってもらえるレベルの就職もして、人生順風満帆だと思っていました。
ところがどうでしょう。
仕事も成果が出はじめ、周りからも認めてもらえ始めた矢先、突然祖父が亡くなったことをきっかけに私の心は一変しました。
小学生のときから医者になりたかったのですが、医者になれなかったことで唯一心から安心してくれたのは祖父でした。
「オトが医者にならなくて本当に良かったよ。嫌味で言ってるんじゃないんだ。医者なんかなったらオトが死んじゃうからな!」
大学受験は本当にやり切った感があったので、結果がどうあれ、周囲のコメントがどうあれ、素直に受け入れられていました。
親戚一同からはヤンチャな人柄ばかりが目立ち、いろいろ迷惑もかけていたようですが(笑)私にとってはかっこいい、自慢の祖父でした。
両親とも教師の家庭に育ったからか、小学校から下校中にバイクで突如現れ、「オト乗ってけ。これかぶれ。」なんてヘルメットを投げて渡す、ファンキーな祖父が大好きでした。
そんな祖父が私の就職を一番喜んでくれていました。
理由は会社名や業界ではなく、祖父が戦時に青春時代を過ごした土地に私の配属が決まったことでした。
2003年の年の暮れ、祖父から一通の手紙をもらいました。御礼も兼ねて、2004年の年始に家族で祖父に挨拶に行きました。
それが祖父からの最後の会話になりました。
あまりに突然だったため、亡くなった当日まで日記をつけていましたが、私がうかがった年始の日記には、「オトの成長に驚く。」と書いていました。
祖父が亡くなったと聞いて一番に思ったことは、私がその町で生きていることを心から喜んでくれている、応援してくれている祖父は絶対に今の私の人生を嬉しくは思ってくれないだろう、ということでした。
世間からは評価してもらえて、誰が文句を言うわけでもない人生だったかもしれません。
でも、何より私自身が全く満足出来ていなかった、満たされていなかった人生だと気付かされました。
「こんなまま生きていくのかなぁ。」
なんて思っちゃったら体がもちませんでした。
そこで強制終了、ドクターストップです。
自分でろくに決めることも出来ないまま私の社会人最初のキャリアは終わりました。
そこから半年。
実家でも所在無く、彼女とも何となく距離が出来ていたのは分かっていましたが、さすがにこたえました。
「何やってるんだろう。」
地位も名誉もキャリアもなくて、彼女までいない。
自分の人生が音を経てて崩れていく様に呆れて、自分でも笑えてくるほどのどん底ぶりでした。笑
周りの支えがなければそこで私の人生は本当に終わっていただろうなと思います。
ところがこの後思わぬ転機がやってきます。