留学•就職体験談
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夢と志を持つ楽しさ ~未来へ~

ACC、つまり自分の会社になって最初のプロジェクト。

それはパース日本語情報誌の発行でした。

「え、このご時世に紙媒体と留学エージェント?」

私が独立の話をした方の心の内は、正直こんな感じだったと思います。
インターネット化は加速し、もはや紙媒体など化石に近い現代。
日本でも一世を風靡した雑誌が次々と休刊、または廃刊になる時代です。

先進国と呼ばれる国の中で唯一、留学生の数も年々減少している今の日本。

普通にマーケットリサーチをしたら、”まずビジネスにならない”と避けるであろうビジネスを2つも同時に、しかも個人資金で始めるなど、頭が狂ってるとしか思えない(笑)、と感じた方も多かったと思います。

「岡さんがやるってことは、考えがあるんだろう。楽しみにしてるよ!」

そう言ってくれる人がいたことが、ただただ嬉しかった。
ビジネスに期待するより、私という人間に期待してくれることの有難みを肌で感じました。

パース支店立ち上げのときもそうでしたが、当然立ち上げたばかりの会社にお問い合わせなんてありません。

メールは迷惑メールだけです。笑

だから、その時間を使って情報誌の創刊準備です。
留学ビジネスにしても、人材紹介・派遣ビジネスにしても、パースに人が来ないことには始まりません。

2011年3月の震災以降、パースと日本を繋ぐ直行便がなくなってから、パースに来る日本人は減少の一途

パースの名前を掲げる日本語情報誌も、”そんなこと何処の世界でもあるだろ”と思うようなことを、わざわざパースの悪口のように掲載し出す始末。
日本人が少ないことで知られるパースですが、裏を返せばパースで日本人マーケットを意識するビジネスも大分少なくなったということです。

街のサイズの割に日本語情報誌の数はシドニーに次ぐ数、なんて皮肉を言われていたパース。

小さいマーケットの中での取り合いのような状況で、先のようなわざと炎上を期待するような方法で注目を集めるようなことも始めるようなことも始まったこともあり、正直広告を出したい、と思えるような媒体は既にありませんでした。

最初は名刺だけ作って、それを持って取材。
大学時代にハマった写真がまさか仕事で役立つなんて思いもしませんでした。

編集、デザイン、校正、配達、広告営業。
当然ですが全部自分達で、手探りで始めたプロジェクトでした。

キャリアコンサルタントとしてはそれなりの実績と経験はありましたが、こうしてまっさらなビジネスを始めたことも、今思えば自分の会社になったと実感できる良い機会にもなっていたように思います。

シドニー2年、メルボルン2年、その後に縁あって住むことになったパース。

この時にはすでにパースが一番好きな街になっていた私としては ”この街の魅力は直行便がある、ないにかかわらずもっと日本にいる人でも魅了できる要素が沢山ある!”と強く感じていましたし、知識や人脈もそれなりにありました。

実は私、大の本嫌い。笑

小学校のときに一番嫌いな夏休みの宿題は「読書感想文」。

1年で読む本は数冊あるかないか。
読み物なんてゴルフの記事と、経済ニュースのメジャーなところくらいなものです。

そんな私が情報誌を作ることになるなんて夢にも思いませんでしたが、妻がデザインや出版の勉強をパースの州立専門学校TAFE(テイフ)でしていたこともあり、力を併せてやってみることに。

誰も知らない、誰も期待してない、創刊号の入稿前夜。

「もう無理。」

TAFEを卒業して半年弱と経験が浅く、まだまだ自信を持てないであろう状況ではありましたが、それでも妻を叱咤激励して、朝4時過ぎまで粘って何とか形にした創刊号。

広告は、パースに来た当初から可愛がってもらっているお寿司屋さんが善意で出してくれた一つだけ。
それでもメチャクチャ嬉しかった。

出来はというと、今見るとホントに素人同然。
実際、素人でしたから。笑

でも、動き出さなきゃ何も始まらない。
そう自分に思い出させてくれるのが、この「エキスパース」です。

今ではパースで一番読んでもらっている日本語情報誌に成長させてもらい、パースの日本関連の大きなイベント等では必ずと言っていいほど提供依頼をいただくようになりました。

西オーストラリア州政府の方にも創刊早々に気に入っていただき、3号目には毎年日本で開催される、オーストラリア大使館主催の「オーストラリア留学フェア」という来場者1,000人以上の規模のイベントにて、パースを代表する日本語情報誌として配布してもらえるようになりました。

ちょうどその号の特集が「$10以下のゴハン」ということで、ランチの予算に限りが出てきたパースでも爆発的に知名度が上がる結果に。

「本を読まない自分でも読みたい、と思う情報誌を作りたい」

そんなコンセプトで、コストを考えずに写真が綺麗に出るように紙や印刷業者にもこだわって創刊したものですから、ビジネスとしては今でも散々です。笑

毎回クオリティと期待のハードルを上げるので、作業は大変になる一方。
年に数度は黒字もありますが、年間を通すと予想通りの赤字ビジネスです。

それでも、これを見てパースに来たいと思いました!とお客さんから言っていただいたり、パースに既に住んでいる人からも、「自分用、保存用、来客用って3冊取ってるよ!」と話していただく度に、「やっぱりみんなパース好きじゃん」って嬉しくなります。笑

エキスパースの赤字を埋める以上に、ACCや人材紹介部門のグリンプス・リクルートメントの認知度を上げてくれているのも事実。
結果的に自社広告による他のビジネスへの集客効果で、全体として成長させていただいています。

エキスパースの話ばかりになってしまいましたが、キャリアコンサルタントとしても久しぶりに一からお客さんの留学や永住、海外就職に携われるようになったことも独立して嬉しかったことの一つです。

念願だった日本への出張も恒例になり、直接日本にいらっしゃる方にパースの魅力をお届けできるようになりました。
年に二度は、東京、大阪、名古屋、福岡にてセミナーを開催しています。

メチャクチャ仕事はキツイし、業務量もサラリーマン時代の5倍以上。

それでも自分のやりたい事を形にさせてもらえている毎日に感謝です。

この会社のサービスをご利用いただいている皆さん、エキスパースに寄稿、取材協力してくださっている皆さん、インターンシップ・プログラムに参加してくれた、してくれているみんな、スタッフのみんな。

会社を初めて一番実感したことは、サラリーマンしてきた時以上に”生かしてもらっている”という感覚でした。

社会があって、その中で自分が生かされている。

その間に会社があってもなくても、自分という存在が結果社会にどう貢献できるかで自分の生かされ方(生き方)が変わるんだと思います。
その生き方が一人一人にとって適切で、実り多く、より自分を好きになれるキャリアであって欲しい。

みんなハッピーなら、戦争も喧嘩もないでしょう。

複雑に考えられない、私の極端発想の一つの結果です。

本当は”キャリア”なんて言葉、大嫌いです。

でも、そのキャリアという言葉に表される生き方に、その人の笑顔も喜びも、涙も悔しさも、すべて詰まっているのだと思います。

「あー、今日もパースは空が綺麗!」

そう思いながらワーホリ時代に入ったモールを通って、今日もオフィスに向います。

あの時から12年経って大分老けましたが(笑)、あの時の自信のない、何もないように思えた自分に語り掛けるよう、毎日お問合せいただく方々の何かしらの力になれればと、初心を思います。

おかげさまでACCはパース発では一番大きな留学エージェントにしてもらっていますが、元を正せば一人のワーホリが「ワァー!」って叫んで生まれたような小さな会社です。

“No fate but what you make for yourselves”(未来は自分の手で掴む)

数少ない、2が1を超えた映画で知られる「ターミネーター2」の中の言葉です。

私の人生のモットー。

今何もないって、何もできないって思っているあなた。

今はそうかも知れない。
でも覚悟して動き出せば絶対に道は開ける。

パースはビザや就職面でもそれを叶えてくれる舞台を提供していれていると感じます。
私のオーストラリア生活も、自信など皆無に等しい人生の出直しでしたから。

今はこの街を、パースのこういった生き方があることを、一人でも多くの日本の方に知ってもらうために自分は生かしてもらっている、とACCをやらせてもらいながら感じます。

これからのACCの活動が、一人でも多くの人の笑顔につながることを願って。

最初から読んで下さった方。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

スタッフ一同、パースにてお待ちしております。

この記事を書いた人

Otto

気分転換にとワーキングホリデーで滞在していたオーストラリアで人生の方向性を見出し、留学、自力で永住権取得、海外就職を実現。「自分と同じように悩む人たちの力になりたい」という想いで独立。ゴルフ、ファッション、音楽、パースのライフスタイルを愛する社長っぽくない社長。

ACCのスタッフは全員オーストラリア長期留学経験者

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