仲間に別れを告げ、無事実家に戻りました。
やっぱり貧乏旅行は楽しい。(地味に破産したけど。笑)
両親ともゆっくり話せて一安心した夜。
「そろそろ電話しよ。」
そんな軽い言葉で自分を励まさないと電話のボタンが押せないほど、別れてから今までの思いは複雑だったようです。
携帯は解約していたので、実家の家電から。笑
久しぶりですよ、女の子に電話するのにあんなに緊張したのは。
「何から話せばいんだろう。」
「あ、向こうが連絡欲しいって言ってたから強気でいいんかな。笑」
「いや、別れるときはさみしい思いさせてたんだから、まずそれから謝らないとかな。」
色んな思いとドキドキを胸に、発信のボタンを押しました。
久しぶりに聞く彼女の声は付き合っていた頃と良い意味で変わらず、別れたときのそれとは明らかに違っていました。
緊張している自分を隠すように明るく努め、今の生活や他愛もない話を1時間ちょっと。
次の彼女の仕事の休みに会うことになりました。
会ったらちゃんと、まず3年前のことを謝ろう。
自分のことに必死で、ちゃんと見てあげられなかったことを謝ろう。
そう思っていたのに、先に謝られたのは自分でした。
精神的に参っている中、優しくしてあげられなくてごめんねって。
3年間、心の奥底にずーっと溜まっていた膿みたいなものが流れ出ていったようでした。
それから近くの公園で満開の夜桜を見ながら、しばしお話し。
そしてまた、付き合うことになりました。
満開の桜を見上げ、これからこの子とずっと歩んで行くんだろうと、人生で初めて何の迷いもなく思えた瞬間でした。
そんな人生のどんでん返しを経験して、Geelongへ帰還。
「遠距離なんて絶対に無理」
と思っていましたが、彼女もこちらに来ることを視野に入れてくれると言ってくれたこともあり、とりあえず様子を見ようと頑張ってみることに。
当時発売されたばかりのSkype Phoneも購入。笑
学生生活の残りは学校の卒業と永住ビザの申請でしたが、共に準備が順調だったこともあり、卒業間近はかなり余裕を持って2年間の学生生活を締めくくることが出来ました。
「Ottoは卒業したらどうするの?」
とりあえず、答えは出ていました。
「シドニーに戻るよ」
第二の故郷、シドニー。
シドニーを出た時も失恋でしたが、無くした自信や戻ることへの不安は、この2年間の留学と彼女との復縁で解消されていました。
レンタカーを借り、家財を積んでシドニーへ約1,100kmの旅。
クラスメイトのYくんも手伝ってくれ、一日で積み込み、借りていたグラニーハウスと呼ばれるはなれの小屋のような部屋も綺麗に掃除。
いろんな思い出と、苦悩、苦労、悔しさ、無力さ。
つらいことばっかやん。笑
今思い出すと、多くの現実をたたきつけられ続けた2年間だったように思います。
決して楽しいことばかりではなかったし、やはり、むしろ悩みやつらいこと、将来への不安の方が圧倒的に大きかった。
でも、ワーホリの時に作れた1が、いくつになったかは分からないし、フォントがデカくなっただけかも知れないけど(笑)確実に少しは大きくなれた気がしました。
もう貧乏も、何かを無くすことも怖くない。
英語とこの腕一本で、どこででも食べていける。
そう思える自分になれたことは何よりの収穫でした。
「二年間、本当にありがとう。また、シドニーで会おう。」
一番お世話になったYくんに別れを告げ、Geelongを後にしました。
またシドニーに戻ろうと思った理由はまた次回。
社会復帰も、意外に満ちた展開でした。