ちょうどワーキングホリデービザでの滞在が6ヶ月を過ぎた頃。
シドニーでの初めての海外生活にも少し慣れ、まだ収入は作れることはなかったものの、とりあえずゆっくりしながら自分を見つめられる環境にはなってきていました。
そんなときに、母が一人で私を訪ねてシドニーまで来ると言うではないですか。
やっと日本から切り離されて、少し自分の息の出来る場所ができたと思った矢先、ちょっと日本に気持ちを引き戻されたような気持ちにもなりましたが、唯一私の行動に理解を示していてくれた母。
そりゃ日本を出る前の私しか知らなかったら、さぞかし不安も募っていたことでしょう。
折角来てくれるんだからと、精一杯シドニー観光付き合わせていただきました。
家に母を招いて、初めて?自分が作ったパスタを食べてもらいました。
お金がないことを楽しむのもワーホリ。笑
自炊も少しは覚えました。
家庭科の教師として仕事もしたことがあり、料理全般なんでも美味しく作れるのに、何故かパスタ(スパゲティ)だけは一度も上手くできたことがないという母。笑
振り返れば、私がデートで良くイタリアン・レストランに行っていたことも納得です。
「美味しいわねぇ!ビックリ!」
なんて言ってもらって上機嫌になっていたら、母から一言。
「この後はどうするの?オーストラリアから戻った後の乙飛子の人生。なんかこっちの水があってるみたいね。表情が少し穏やかになって安心したわ。折角の機会なんだから、もう少しこっちで頑張ってみたら?ほら、留学したいっていつも言ってたじゃない。」
アーティストである母らしい、直感冴えまくりの提案でした。
何にも逆らうこともなく、その言葉に導かれるように留まる方法を考え出しました。
「いずれは日本に帰るんだから、やっぱり英語と学位。大学院でも進学すれば、帰国後の就職も困らないだろ。」
そんな気持ちでまたシドニーの日本語情報誌に書いてある記事、広告を読み返していると、とある人材紹介・派遣会社で開催される、通訳・翻訳の大学院進学セミナーの広告を見つけました。
「英語力と学位を両方高められるし、国家資格取れるみたいだから、手に職にも繋がる。これかな!」
そんな思いでセミナーに出席。
久しぶりのキリっとしたオフィスの雰囲気にちょっと違和感を覚えながらも、シドニーの通訳・翻訳といえばここ、と言われるほど定評のあるマッコーリー大学から先生がいらしていました。
当時はまだ100%先生の言われていることが分かりませんでしたが、7割程度は何とか理解出来、コースの概要は理解出来ました。
「質問がある方、いらっしゃいますか?」
私が一番気になっていたことを質問させてもらいました。
「御校の通訳・翻訳コースを卒業して、資格を取った後の就職状況はいかがでしょうか。フリーランスでも生計が立っている卒業生は多いのでしょうか。」
やはり大金をはたいて留学するわけです。その後の就職や収入が気になります。
「正直、そこまで稼げる仕事ではありません。日豪は貿易大国であり、今でも日本に関連したビジネスは多数存在し、オーストラリア経済への貢献は大きいですが、安定した仕事として通訳・翻訳だけで生計を立てている人は正直多くありません。日本に帰って学位を使って就職。メイン業務の傍ら、通訳や翻訳の仕事も担当する方は多いようです。オーストラリアに残ってこの仕事となると、相当数は限られます。」
率直な回答でした。
セミナーを開催していた担当者はちょっと気まずそうな印象でしたが、私にはとても有難い機会とアドバイスをいただけたと感じました。
「きっと日本だったら押せ押せでそのコースを薦められることも少なくないだろうに、この人は正直ベースで生徒に選ぶ時間と情報を提供してくれている。とても有難いことだ。」
セミナー後、当然ながら通訳・翻訳コースへのモチベーションは下がったものの、他に良い案も思いつかず、とりあえず入学に必要とされる英語力証明のためIELTS(アイエルツ)と呼ばれる英語テストを受験することに。
IELTSはブリティッシュ・カウンシル主催の英語テストで、日本ではあまり馴染みがありませんが、イギリスやイギリスの旧植民地だった国への留学、移住にあたって英語力証明として使われています。
Listening(リスニング)、Reading(リーディング)、Writing(ライティング)、Speaking(スピーキング)の4セクションに分かれており、それぞれでスコアが1~最高の9まで、0.5ポイント刻みで判定されます。
TOEFLと似ていますが、スピーキングもあることに心配が募りました。
当時でも受験料AUD$230(約2万円)となかなか値の張るテストでしたが、それに加えて一度受験したら3ヶ月は受験できないテスト。(注:現在は受験できる限り、何度受験してもOK)一回のテストへの緊張が高まります。
「塾での仕事でテスト対策はお手の物だ。ただ、IELTSの対策本のどれを見ても本番のイメージが沸かない。敵を知らずして対策もない。まず一度受けてみよう。」
とりあえず最低限、テストの構成と予想される時間配分だけ自分の中で理解して初めてのIELTS受験へ。
久しぶりのテストでとても緊張しましたが、何せ何も分からないで受ける一回目。
「日本の受験のようにこれから一年受けられなくなる訳ではないし、とりあえず二回目頑張ろう。・・・でも、さすがにヤバイだろ。」
リスニング、リーディング、ライティングはそれなりにそのときの実力に比例したものは出せた気がしましたが、スピーキングが有り得ないほど出てこない。
おまけに、出されたテーマが「Festival(祭り)」。
私、人ごみ大嫌いなので、ディズニーとUSJ以外は人ごみ避けて生きてきた人間です。
新卒で入った製薬会社の新卒歓迎パーティも、乾杯だけ参加して、トイレ行く振りして帰っていたほどの人ごみ嫌い。笑
当然、地元の祭りなんていったことありません。
なんとか好きな音楽に関連付けて、フジロック・フェスティバルの話や、日本には地域を代表する有名な祭りがいろいろあるけど、行った事はないよ、という話で凌ぐのが精一杯。笑
「あれじゃ、せいぜい平均ちょい下の4くらいがいいところだろ。スピーキング頑張らないと。」
さすがに3ヶ月に一度だけの受験だけでは予定している翌年2月の入学に間に合わないので、同じく英語力証明として許されていたTOEFLも受験。こちらは何回受験してもOK。
ワーホリなのに、何故かまた受験や勉強とのプレッシャーや不安との毎日。
ある日机で勉強しているとき、ふと頭の中の糸がプツンと切れる感じがしたのを最後に、英語の勉強意欲がゼロになってしまいました。
「オーストラリアまで来て、何やってるんだろう、俺。」
肩書きや収入、かかわりたくもないしがらみから逃げたくて来たオーストラリアでしたが、結果的に進んでいる方向は間違いなく元居た場所に向かったものでした。
「こんなことしか思いつかないんじゃ、結局同じことでまたつまづくことの繰り返しになるだけだろう。こんなんじゃ何やっても駄目だ。何か自分にしか出来ないこと・・・っつっても、そんなに簡単に見つかったり、実際出来るわけないよなー。」
そんな八方ふさがりで、半ば投げやりな思いで行き詰ってしまったとき、思わぬところから将来へのきっかけをもらいます。